2017/10/19

北斎、HOKUSAI

 青と白の大きな波、誇張されたおなじみの水しぶき、小さいながら富士山が威容をはなち、船が果敢に波に挑む。

 三度目の正直で北斎展に行けました。一度目は、平日の昼間にもかかわらず長蛇の列。二度目は、開館15分前でチケット売り場でさえも混み合って断念。三度目は、前売り券をあらかじめチケット屋で買い求め、開館40分前に並びました。日曜日でもあり、9時半と早めの開館で待たずに入場できました。

 美術の教科書でおなじみの富嶽三十六景のThe Great Waveこと神奈川沖浪裏。1メートル以内の至近距離。小さいサイズなのに瞼から脳に直接大きく投影され、それが想像どうりの大きさに膨らみました。

 人の手指のような水しぶき。一度見たら忘れられません。北斎の誇張かしらと思っていました。五千分の一秒の高感度カメラにあのしぶきが写っていました。北斎の眼力のすごさに驚かされます。

 圧巻は、よわい九十歳の正月の作。「雪中虎図」。天に向かって上らんとする虎。愛らしく微笑む姿は、北斎翁に重なりました。もっと極めたい何かを見出し、その喜びに満ちた表情が足取りを軽やかにさせているのでしょうか?虎の表情はわたしを癒してくれました。。翁はこの数ヶ月後に無くなります。

 落款は、朱色の百の一文字。百のおもいは如何(いかん)?

 北斎の余韻にひたりながら会場を出ると、待ち時間90分と係りの人が叫んでいました。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/11/30

バレエ 「人魚姫」

 デンマークのコペンハーゲンにある人魚姫の像。その写真を見るたびに、アンデルセン童話の「人魚姫」を思い出します。

 地主薫バレエ団公演「人魚姫」を観にいきました。

 開幕前、全幕をどのように描き振り付けするのか楽しみにしておりました。人魚?海の中?魔女?考えれば考えるほどに想像がふくらみました。

 海の中。ブロンドの長い髪の人魚姫、5人の長い髪の姉たち、赤いロブスター、グレーのヒトデ、緑色のかめ、ホワイトシルバーの真珠、真珠貝、青いとびうお、赤いさんごに透き通ったくらげ。色彩豊かで愉快な魚たちの踊りに目をうばわれました。海の王を中心にわいわいガヤガヤ。それぞれ一目でそれとわかる衣装と振り付け。楽しく子供たちと観客を引き込む心にくい演出。さすがでした。

 15歳になった人魚姫は、竪琴を弾きながら海の上で美しい声で歌います。王子の乗った船が転覆し、人魚姫が王子を助けます。隣国の姫が介抱する時に目覚めるのは、いつもながらなんとタイミングの悪いことでしょう。  
 自分の尾ひれをながめ人間になりたい。2本の足で立ちたい。恋する王子のために。ひたむきな思いが踊りにあらわれていました。

 深海の魔女の海。暗黒。おどろしい赤黒いライト。魔女の声は先ほどの人魚姫の澄み渡る声の反対。低いが・ぎ・ぐ・げ・ご音。言葉のないバレエに生の声が吹き込まれ、質の高いミュージカルに変身。美しい声がバレエに組み込まれ目と耳と脳は気持ち良い。

 声のイメージに違わない魔女は、新国立劇場バレエ団プリンシバル マイレン・トレウバエフ氏。若いダンサーたちと一線を画し妖艶さを前面におどろおどろしく。しぐさがそうさせるのか?この魔女にかかると不幸になるのでは?人魚姫を止めなければ。誰もがそう思うくらい真に迫っていました。

 自分の尾ひれをながめ、2本のスラリとした足が欲しいと。せつない思いを抱く人魚姫。しかし、引き換えの声は王子と人魚姫を結ぶ大切なものなのに。

 深海にうごめくバイパーフィッシュ、ウツボ、チョウチンアンコウ、スケールワーム、コウモリタコ、ウミグモ、ラブカ、など、海の図鑑をひも解かないと出てこない生き物たち。衣装の独創性は言うにまでもなく、ていねいにそれらしく振付けるのにはおそらく多大な時間を費されたことでしょう。コルサレフのシェヘラザード第一楽章「海とシンドバットの船」を使用したと明かされ、ぴったりしっくりする曲探し旅。たいへんな動力に頭が下がりました。

 人魚姫は望みどうり王子のそばへいけても、本当のことを伝えることが出来ないジレンマに苦しめられます。心がちくちく痛む時間の長いこと。姉たちが苦労して手に入れた短剣も海に捨て、自らも海の藻屑となって・・・。

 天国への階段をのぼりゆくときは、シルフィードたちの白い衣装がまぶしく優しく人魚姫を包み込みます。悲しい結末には、浄化された白が良く似合いました。

 海の青、深海の暗黒、陸の土、豪華な宮殿、白無垢の天国の階段。それぞれに合わせた衣装が洗練されたダンサーたちの動きを一層引き立たせていました。生声の効果音は、余韻となり今でもはっきり耳に残っています。人魚姫の可憐な踊りの魅力と重なり物語の悲しさを一層増すことになりました。何度見ても楽しい人魚姫の新しいキャラクターたち。ロブスターやヒトデたちのからみは笑いを誘い、一服の清涼剤。一年間の猛練習は、彼らを決してを裏切らない、すばらしい出来栄えとなっていました。

 ブラボー。

 生オーケストラ、衣装、ダンサー、照明、舞台背景など、どれが抜けても「人魚姫」は語ることができません。年に一度しかバレエに接することがないわたしです。地主薫バレエ団のこの一年の飛躍は言葉で言い尽くすことはできません。

 最後に。私たちの席の前に親子づれが座っていました。お母さん、おねえちゃん、3歳くらいの男の子。その男の子が、休憩時間に、ダンサーを真似て、片手を上げてしきりに姿(しな)を作って背中を反らせているではありませんか。何度も何度も。わたしが語るより子供たちの反応がその出来栄えのすばらしさを物語っているのではありませんか?

 未来のプリンシバル候補がそこにいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/16

日展

 Img_0798


「危ない・・」後ろに下がってきた人に車椅子が当たりそうになりました。危ないなぁ。後ろに車椅子があることに気づかないなんて。

 改組 新 第1回 「日展」大阪市立美術館(天王寺公園内)に行ってきました。

 その絵は、正面近くでは普通の白い山。後ろに下がるほどに大きさと迫力が増す、そんな作品。タイトルは「白い朝 赤岳」。思わずわたしも車椅子とともに後ろに下がってしまいました。人がいないのを確かめて。

 西洋絵画の部、油絵、大きな画面に浮き出る雪をかぶった赤岳。3Dを見るような迫力でした。その迫力が人を圧倒し、もっと良い位置で見ようと無意識後ろに下がらせるのか?。特選のシールがまばゆく名前の横に貼られていました。平面が特殊めがねをかけないで距離により3Dに変化する技術、すごい。赤岳の雪の朝の荘厳な感覚が伝わってきました。季節、時間、張り詰めた緊迫感、洗われる心、重量感、圧倒される、言葉では言い尽くせない、下がって必死でそれを受け止めようとする自分。ぎりぎりに拮抗できる距離に立つと、すべてが静かにたたずむ赤岳になって見えました。

 久しぶり心を揺さぶられる作品に出会いました。日本画、工芸、彫刻と入選作品を鑑賞し、最後にもう一度赤岳を見ました。絵葉書を買おうとしましたが、小さくまとまった写真のようでとても買う気にはなれませんでした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/02/16

異文化交流 歌舞伎 3

 「2-3日前から思うような声が出ない」

 本番4時間前の空き時間にOO太夫さんがはり治療に来られました。2月公演も半ば、そろそろお疲れが出る頃かと想像しました。

 脈を診ると腎虚になっていました。

 「寝不足、疲れすぎ、動きすぎになっています、おなかの底から声が出にくいと思います。良い声でこの間曽根崎心中を語られていたのにね」

 「見にきてくれたの?」

 「はい。どうして鴈治朗さんはOO太夫さんを指名されるのですか?声が美しいから?」

 「御大の声質と似ているからと人は言っているけれど、語っている言葉が分かりますか?」

 「どうりで、鴈治朗さんのせりふと語りがおなじように聞こえてどちらが言っているか区別がつかない時が何度かありました」

 「せりふに合わせるように語っています」

 目と耳を集中して歌舞伎独特の雰囲気の中に身を置くという新しい経験は新鮮の一言。本物をリアルタイムで見ることができる贅沢。ビデオや映画とは異なる日本の伝統芸能・・・。

 と考えている間、15分あまり。腎虚がとれて鼻歌が出てきたのでぎりぎり治療終了。本番2時間前までに食事をして松竹座にもどる計算をしました。合わせて、気持ちがよくなって本番眠くなってしまうのも避けたかったので。
 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/11/09

アリババと40人の盗賊

Img_5367


 地主薫 舞踊生活50周年記念公演 「アリババと40人の盗賊」 全3幕 を見に行きました。

 「ひらけ ごま」と盗賊。日本から遠く離れたシルクロードの通り道。そんなイメージで臨んだバレエ公演。

 「ペルシャの市場」の生演奏が始まると、気分は砂漠の大国ペルシャにひとっ飛び。色彩は、華やかさを抑えた燥熱の砂色。視覚から砂漠の町並みと人々の暮らしが瞬時に伝わり、一夜の夢物語の世界に引き込まれていきました。中でも往来での蛇使いと蛇の踊りは、観客の目をくぎ付けにしてくれました。からみあう蛇の習性をよく理解した興味深い振り付けでした。

 アリババとろばは主従関係で、ろばは動物です。人間が踊るろばは突っ立つことは許されません。ひょうきんなろばの躍動感あふれる踊りは、主役アリババの存在感を引き立ててしっかり盛り上げていました。飼い主アリババの人柄をろばとの交流で示す手法は、言葉が存在しないバレエの世界ならではのものでした。

 山で道に迷ったアリババに40人の盗賊登場。ある者は舞台の袖から、ある者は観客席の後ろから、出てくる出てくる大挙40人。岩場に隠れているアリババの白い服とは反対の黒づくめ。何をしでかすか分からない黒いうごめきは、限りなく荒々しく猛々しい。盗賊の頭の威圧的で伸びのある踊りは、彼らを統率するのにふさわしく勇猛果敢。アリババとの対決が今から楽しみ。

 兄カシムが岩場の中に入って見た物は?

 エメラルド、ゴールド、ルビーの踊り。宝石の輝きがまばゆさを増す如く、豪華な色使いと振り付けに地主ワールド全開。岩場の中の隠された秘密に観客もうっとり。

 大きな壷に隠れた盗賊たちは、召使モルギアナの煮えたぎった油により殺されました。アリババと恋人アマーラの祝宴が始まりました。付け狙う盗賊の頭。正義の優しさと勇猛な悪。対峙した二人。軍配はアリババに。

 今回で2度目の上演の「アリババと40人の盗賊」。40人の男性ダンサーをどう見せるのか?が注目されるところでした。衣装は白と黒、心は正義か悪か?、照明は明と暗、背筋を伸ばすか、丸まるか、屈むのか?それぞれの役割をよく理解しみごとに演じきりました。蛇とろばは、ものめずらしさと愛嬌でもって、ストーリの単調さをなくす無くてはならない存在でした。

 若いアリババと若い恋人アマーラ、二人の踊りは、個性の強い踊り手の中にあって柔らかなクッション役となっていたように思います。そのまま地主薫バレエ団の未来の姿を見ているようでした。

 生公演に生オーケストラ。芸術の秋にふさわしい贅沢。この日この夜、アラビアンナイトのシヘラザードは、ペルシャ王に新しい形のアリババの物語を語ったことでしょう。


 たくさんの若いダンサーたちの動きを見て、わたしたちの日常のあまりの動きの無い生活を思いました。あれだけ動ければ、気滞(気の流れが悪く、からだに不調が出ること)や鬱滞(うつうつして体調を崩すこと)などの不調は出ない。たとえ出ても一度バレエの練習をするだけで払拭することが出来るでしょう。羨ましい限りです。団員の皆様に惜しみない拍手を贈りたいと思います。

  

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/09/21

いまり IMARI 伊万里

Img_5162_2


 一気に秋の到来。覚悟していた夏ばてはほとんど感じられずすがすがしいくらいです。

 頭がスッキリしたところで芸術鑑賞を。

 「 I M A R I 」 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器 東洋陶磁美術館 へ行ってきました。白地に青、赤、緑、金色をあしらった豪華絢爛な絵付け。ひときわ大きな壷一対。それがヨーロッパの宮殿の大広間に飾られている。宮殿の調度品に一歩も引けをとらずに堂々と置かれている様子を想像してみてください。心が打ち震えました。

 17世紀初頃(江戸時代)、中国景徳鎮窯を手本に佐賀県有田にて磁器が初めてつくられました。有田の磁器は、伊万里港からオランダの東インド会社により東南アジアやヨーロッパに輸出されました。とくに、ヨーロッパの王侯貴族たちは実用に使うだけではなく、ステイタスシンボルの一つとして宮殿や邸に飾りました。

 磁器のスケールの大きさもさることながら、まばゆいばかりの絵付けに、東洋それも日本へのあこがれはいかばかりだったでしょうか?

 そんなことを考えながらの約190の伊万里の磁器たちの迫力。何故彼らが競ってそれを手に入れたかったかわかるような気がしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/17

「ニースの窓辺」 ラウル・デュフィ展

Img_1130


 開け放たれた窓、広がる青い空、深い青みどりに映える海、白いヨットがまぶしい。

 「ラウル・デュフィ」展 大阪アベノハルカス美術館に行きました。朝一入場に40人が並ぶ盛況ぶり。

 「色の魔術師」といわれたデュフィは、20世紀前半のフランスで活躍しゴッホ、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなどから影響を受けました。「ニースの窓辺」に広がる空と海の青は、青のバリエーションだけで、南仏の明るい空と海の奥行きと広がりを出して見せました。美術館までたどりつくまでの暑かった思いは、一気に窓辺の外にはき出された気分。涼しく爽快。

 デュフィ自身の青に対する思い入れは半端なものではなく、青こそ色の中の色と言わしめるほどの入れ込みようです。ほとんどの作品の基調は青。対比としての赤、オレンジをいれても作品は青。受ける印象は涼しい。夏向きの作品たちです。

 何故これほどまでの青なのでしょうか??

 答えは、かれの写った一枚の写真からわかりました。スーツ姿の白黒写真。はだしで靴をはいていました。白目が見える三白眼。端正な顔の鼻が白く抜けていました。かれはからだが燃えるくらいの暑がりだったと想像できます。逆気するためにのどが渇き冷たいものをよく食べたり飲んだり。鼻の白さは、胃腸が冷えていること表しています。

 視界に青が常にはいっていると心地よく、キャンバスに青を塗ることにより自分の火照ったからだを冷まそうとしたのだと思います。さすがに最晩年の絵は、青の迫力は無くなりどの色を配色しても黒色としか見えなくなりました。燃える熱が無くなったのでしょうね。

 今年の夏は雨が降り天候は不順。とても暑い日にデュフィ展に行くことをお勧めします。かれの思惑どうりひんやり涼しい時を過ごすことができます。わたしはと言えば、見ごたえがあって夢中になり、観覧の後どっと疲れがでてしまいました。

 色のチョイスも体調に影響を与えることがよく理解できた展覧会でした。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/03

こども展 (モデルとなったこどもたち)

Img_6926


Img_0054


Img_0802


台風の影響で湿度70パーセント以上、30度足らず、早起きをしました。

 昨夜からの雨に濡れた木々、高湿度、曇り空、活気がない分歩きやすい。「こども展 (名画に見るこどもと画家の絆)」(大阪市立美術館 天王寺公園内)を見に行きました。

 本展はパリ・オランジュリー美術館で開催され、約20万人を動員した「モデルになったこどもたち」をもとに、日本向けに企画された展覧会です。

 親はデジタルカメラ、ビデオカメラ、果てはスマホで手軽にかわいいこどもの姿を残したいと願います。わたしもそんな親ばかな時を過ごしてきました。18-20世紀に活躍していたルノワール、モネ、ピカソたちの目に映ったこどもたち。それぞれ独自の色や筆のタッチに興味が尽きません。巨匠たちの目に映ったこどもたちの姿は、「こども展」という簡素なタイトルに反して一つ一つ見ごたえがありました。

 この3枚の絵は何度見ても去りがたく顔がほころびました。上から、アンリ・ルソーの「人形を抱く子ども」、ピエール・オーギュスト・ルノワールの「ジュリー・マネの肖像」。シャルル・リュシアン・レアンドルの「画家の姪、マドレーヌ・ルモワーヌの肖像(14ヶ月)」

 映像や写真に見慣れているわたしたち、時を経ても色あせないこどもたちのかわいい瞬間がキャンバスの中から光を放ってみえました。暑いさなか、心地よい余韻が残った展覧会でした。

 疲れて帰り昼寝をしました。早起きと日中に昼寝をするは夏の養生でしたね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/01/14

加賀赤絵展

Img_6047


 洋風テーブルの上にディナーセットが並ぶ。一段と目を引く加賀の赤絵の壷や絵皿。ナイフやフォーク、スプーンのそばにさりげなく置かれている湯飲みやティーカップ。盛り付けられたテーブルフラワーの存在を忘れる程。明治時代のフィラデルフィア万博(1876年)、パリ万博(1878)で欧米人の目を一瞬でくぎ付けにしたであろう風景が、会場で再現されてありました。

 魅惑の赤、きらめく金彩 「加賀赤絵展」 京都高島屋 を見に行きました。華やかな九谷焼の赤絵は、江戸時代中国との交易を通してもたらされた陶磁器の模倣から始まりました。時の大名や商人たちの心を魅了し、茶の湯や食文化の中で日本独自の円熟期を迎えます。前面に小紋と絵画をで埋め尽くされた陶器、その精緻できらびやかな文様は、息をのむ美しさです。幕末に、京都から金彩が伝えられ、絢爛豪華のひとことに尽きる域に達しました。

 加賀赤絵をうみだす陶工のことを考えてみました。雪が降り積もる、雪国の長い冬。一面の白。すべての色彩は白色に変えられ底冷えの寒さ。

 赤い色を白い陶器に一筆ずつ塗っていく。朱の赤は、目にも暖かく、底冷えの寒さに温もりが伝わってくる感じがします。金彩を加えて豪華な中に重厚味がでます。陶器が、金襴緞子の着物を着ているように塗り上られていく。京都の友禅に決してひけをとらないように。彼らの心意気が伝わってきました。

 わたしは、素朴な陶磁器が好きです。今回はじめて加賀赤絵をあしらったテーブルディナーセットを見ました。心が豊かになる品々でした。自然に頬の筋肉がゆるみました。欧米の人たちがジャパンクタニのとりこになったのも良くわかるような気がしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/06/13

コッペリア

Img_9071


 そこには、ポーランドの田舎の風景が広がっていました。非日常の中の日常。

 地主薫バレエ団公演 「コッペリア」 を観に行きました。恋人同士のフランツとスワニルダ。人形のコッペリアをめぐって二人の恋模様は二転三転します。

 今年は、例年以上に緊張と期待が入り混じっての鑑賞となりました。車椅子の主人といっしょだったからです。
 全三幕の構成は、バレエの素人の私たちでもわかりやすく、充実した内容でした。

 オーケストラが始まる前のざわめきは、観衆の期待をこめた暗黙のメッセージ。曲が流れ出して、少しずつコッペリアの世界に引き込まれていきました。

 バレエは、せりふのない舞台芸術。コッペリアのオーケストラにのって、あらゆるシーンに、見る側も流れをくんで意識を合わせていきます。受け手の心の中のことを考えていました。恋人同士でバレエを観に来ている人は、フランツとスワニルダたちの恋の行方にはらはらするのでしょうか?親子では、綺麗な衣装のダンサーたちの演技に魅了されることでしょう。

 車椅子の主人と来たわたしは、ダンサーたちの力強い踊り、しなやかな筋肉の動きの仔細ばかり注目していました。歩くこともおぼつかない主人と、弾けるような若さと情熱で踊るダンサーたち。毎日の練習の積み重ねと体力維持。最後まで踊りきる精神力、集中力。細やかな身のこなしに、動きの無限性を感じました。

フランツが人形になりすましてスワニルダたちを驚かす、 人形のコッペリアとスワニルダとの早着替え、など地主薫ワールドが随所にちりばめられ、第三幕の晴れやかな村の結婚式を迎えます。

 老人コッペリウスと若者たちの和解を経て、華やかな村のお祭りが始まります。気難しいコッペリウスには、ロシア国立モスクワ音楽劇場バレエ団のドミトリー.ザバブーリン氏をゲストに迎え、全体をおもしろおかしく、時には哀しく、舞台に演技の彩りを添えていました。ポーランドの田舎の祭りの風景は、衣装、装置、照明、音楽などにも配慮がほどこされ、舞台の中の日常を違和感なく鑑賞できたのは、お見事といえるでしょう。 

 昨年の地主薫バレエ団は、若い世代の台頭と新しい方向性を見せていただきました。今年は、原点に戻って、かれらの底力を華やかさの中から見出すことができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)