« 涙のわけ | トップページ | モチュベーション フィギュアスケート高橋大輔 »

2011/02/17

深夜特急

110213_1123


 「旅をするのは、人の親切にすがっていく部分があるけど、疲労困憊してくると、人の親切がうまくうけいれられなくなるんですね。わずらわしくて。たとえば、バスでタバコをすすめられたり、食堂で会った人が食べ物を半分分けてくれる。ところが、だんだん肉体的な疲労がたまってくると、人を拒絶するようになって、その果てに人に対しても自分にたいしても無関心になって、どうでもいいじゃないか、たとえ死んでもかまわないじゃないか、と思ってしまう。」

 「自分に無関心というと超越的な何かをイメージするかもしれないけれど、そうじゃなくて単純な肉体疲労なんですね。」

 「死んでもいい、生きる必要なんかないんじゃないか、と思っていても、疲労が癒されると、やはりバスで前へ進もう、となる。」


 沢木耕太郎著「深夜特急3」インド、ネパール編 新潮文庫 を読みました。

 彼は26歳の時、仕事をやめてバスでロンドンまで行くことを計画しました。香港、マカオ、タイ、インドネシアからインドのカルカッタに入りました。半年の計画が、香港で数ヶ月、インドで数ヶ月滞在、バスと汽車で乗り継ぎながらより道を繰り返しているところでした。バスの移動は過酷で、病気になれば宿で寝ているだけということもありました。私は、冒頭の文章を読んだ瞬間に頭に電流がはしりました。

 今から30年前の旅の話のどこに?

 バスの旅を人生の旅に置き換えた時に同じことが起こっていると思いました。

 彼は、単純に肉体疲労と言い切りましたが、そこには、こころと肉体に微妙な関係も含んでいると思います。肉体疲労などは、はり治療で寝ているだけよりも数倍はやく回復する事実を知っています。こころもそれに伴って回復していくことも経験しています。

 人生の旅の中で前へ進むために、はり灸も一役かっていることに対して電流が走ったのかもしれません。

 最後に、「三島由紀夫が、肉体を鍛えていれば太宰治も自殺しなかったかもしれないというようなことをいいました。僕は、怠惰とか倦怠の80-90パーセントは、肉体的に健康で疲労がとりのぞければ消えてしまうのではないか、と言い切りたい。」

 インド、ネパールを歩き回った末の沢木耕太郎さんの結論でした。

|

« 涙のわけ | トップページ | モチュベーション フィギュアスケート高橋大輔 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/38129/50896303

この記事へのトラックバック一覧です: 深夜特急:

« 涙のわけ | トップページ | モチュベーション フィギュアスケート高橋大輔 »